久保史緒里さんの「風のような、9年間でした」

乃木坂46

2025年9月16日の久保史緒里さんのブログ

久保史緒里さんの「風のような、9年間でした」

本日次のブログは久保史緒里さんです。



風のような、9年間でした

https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/103831

ブログの概要

ツアーのブログを書き終え、

ほっとする間もなく、

もうひとつ、ブログを書いています。

思えば、乃木坂46と出逢ったのは、

13年も前のこと。

今わたしは24歳だから、

もう人生の半分以上、

乃木坂46のことを考えているんだね。

一旦、

そんな時間ともお別れなのかしら。

乃木坂46を卒業することになりました。

6歳からアイドルが大好きだった私が、

15歳で大好きな乃木坂46になることができ、

夢だったんじゃないかと思うほど素敵な

9年間を過ごさせていただきました。

本当に、ありがとうございました。

工事現場の「⚪︎⚪︎年完成」という文字を

見るのが好きです。

その頃、自分は何をしているんだろうと

想像する時間は希望に溢れていて好きだから。

でも最近は、

この建物が完成する時、

私はもう乃木坂46にいないんだな

と考えることしかできなくなっていました。

そんな感情を誰にも共有せず、

ぽっと寂しさの火を灯しては、

自分でふーっと消す。

そういう作業を続けていたから、

いま、すごくどきどきしています。

ずっと、考えていました。

でも、

私はその時をいつ迎えるんだろうと、

私にもわからなかったのです。

ある年のツアー中、

『このグループが好きすぎて、

自らの意思で卒業に踏み込める未来が見えない。

それが怖い。』

そう紙に書き残していました。

好きの気持ちは、

今もずっと変わっていないけれど、

ツアーが終わりを迎えたその日、

私は卒業を決意しました。

それから今日に至るまで、

年月という時間が流れたけれど、

それにも、

ちゃんと理由があるのです。

私はいつからか、

「乃木坂46の私」と「久保史緒里」を

分けて考えるようになっていました。

グループにいる時も、そうじゃない時も、

この2つが私の中に存在していることで、

冷静になれたり、

誰かの立場になって考えられたり、

客観的に自分を見ることができたり。

 

「久保史緒里」として決意をしても、

「乃木坂46の私」は、

まだこの場所でやるべきことがある。

そう思ったのです。

だから決断を急ぐことはありませんでした。

じゃあどうして今この選択をするのか。

乃木坂46を好きすぎる私が、

私自身を客観的に見た時に、

卒業するタイミングは今だって。

そんな声が聞こえました。

乃木坂46のことが好きすぎるが故に、

今、この選択をしました。

今を逃してはならないと思いました。

誰もが存在するとは思うけれど、

こうやって自分の中に

2人の自分を存在させることは、

簡単ではなかったようにも思います。

考えることは倍になったし、

どっちの自分で判断すれば良いのか

環境や状況によっては悩んだり。

今思えば、

それは楽しくもあったのですがね。

でも、少しずつ、すこしずつ、

自分自身に比重を置いて生きていくことも

大人になる為に必要だと思いました。

私は、ここにくる前から、

乃木坂46がいないと

生きていけなかったから。

自分がやりたいこと、経験したいこと、

今まではそれが、

『乃木坂46』という存在があった上でしか

考えられなかったけれど、

そういうものを自ら

考えられるようになりたい。

 

グループに甘えず、自らの強い意思で、

選択して生きていけるようにも

少しずつ、なっていかないといけないと

思いました。

自立せねばと、思いました。

たとえそれが、

大好きな場所でも、

そこに大好きなメンバーがいてくれても、

この場所でも叶えられるものだとしても、

これから先の人生も、

私はわたしを生きていかなきゃいけないから。

私なりの、

大きすぎる愛を持った、

乃木坂46への

向き合い方だと思っています。

愛しかなかったから、

決心してから時間が経った今年の夏も、

みんなと眩しすぎる夏を

過ごすことができました。

ツアー中、

輝くメンバーをモニターの前で見ながら、

感情の蛇口が緩んだように

ひとり溢れそうになる瞬間が

何度もあったけれど、

自分のほっぺたぺちっとして、

泣くな。泣くな。って唱えてました。

後輩にもばれてなかったように思うよ。

後輩には、

「まだいてくださいね」って言われるたびに、

「いるよー!」って言っちゃってた。

それだけは嘘をついてしまいました。

ごめんなさい。

今年の夏は、

みんなの背中をたくさん撮っていました。

乃木坂46として、

これからも明るい未来へと進んでいくみんな。

一旦ここで、駅を降りる自分が見る光景を、

無意識のうちに

写真に収めていたのかもしれません。

この前ブログで話した、

今年の夏の、私の使命。

それは、乃木坂46として生きることでした。

最後の最後まで、

「乃木坂46の久保史緒里」として生きる。

それが、

当たり前のようで、

当たり前じゃないと知った夏。

久保史緒里のままだったら、

泣いちゃうっていう場面が多すぎました。

「来年の夏はまたきっとここに来るだろう」

って、歌えなかった。

「来年も必ず、この場所で会いましょう」

って、言えなかった。

でも、

乃木坂46の私ならば、言えた。歌えた。

そこに私はいなくとも、

乃木坂46はそこにいて欲しいと

強く願ったから。

私としてではなく、

乃木坂46の私として、

言葉を届けたいと素直に思いました。

そんな願いは、

この先も続いていくと思っています。

終わりではなく、はじまりですね。

あの頃の私からは想像がつかないことです。

ちゃんと自分の意思で卒業を決断できた。

決断の裏にある決意の、

第一歩を踏めました。

あとは、自分の選択を正解にしていく作業を

これからはしていかなければなりません。

これから先は、

まだどうなるかわからないけれど、

二歩目として、

もう少し自分の身体や自分の心と

会話する時間を増やしたいと思います。

私の大好きな「暮らし」を大切に、

穏やかな日々を送りたいです。

感謝を伝えたい相手はたくさんいるけれど、

この場では、

私をこの世界へと導いてくれた先輩方へ。

あのとき、私の希望の光でいてくださって、

私に夢と未来を与えてくださって、

本当に、ありがとうございました。

私の部屋にはまだ、

先輩方のポスターと写真がたくさんあります。

あのとき、

東北のアンダーライブに

行って本当によかった。

あの日、私の運命が変わりました。

3期生オーディション募集中に、

地元である東北に乃木坂46が来るだなんて、

今考えると運命だなあ、

なんて勝手に思っちゃいます。

先輩方のご卒業は全員見送ろう。

というのは

ずっとずっと前から決めていました。

でも実際、その時が来たら、

私はどうなっちゃうんだろうと

思っていました。

大切なたいせつな後輩が出来ていました。

昔、先輩が『何があっても守りたい存在』と

3期生のことを

語ってくれたことがありました。

ここに来るまでは

出逢うはずじゃなかった存在を、

どうして

そんな風に思ってくださるのだろうと、

私は正直、不思議に思っていたのです。

でもある瞬間、

その感情を知ることになります。

後輩を守りたいと、

私にも思うことができました。

何者でもない私を、

先輩と呼んでくれた後輩の存在。

後輩の言葉ほど、

すーっと胸に刺さるものはありません。

私は本当は何も持っていないけれど、

それに気づかれるのが怖くて、

一生懸命やるしかありませんでした。

頑張りが自分の無力さに

追いつかなくなってしまっても、

この場所にはその過程を見てくださる

マネージャーさんやスタッフさんが

たくさんいました。

一番、迷惑をかけたのは同期かな。

たくさん、

ごめんなさいを伝えなきゃいけない。

不器用すぎて、みんなとどう接したら良いのかわからない時期もありました。

でも変わらずにずっと大切な存在だから、

なんとかそれを伝えたくて伝えたくて。

空回りして、

それを伝える方法が、いつも下手でしたね。

なのに、

りりあちゃん、れんか、うめ、よしだ。

今年の夏も、

ずっと一緒に居てくれてありがとう。

先を歩むみんなの活躍や幸せも、

私は嬉しいです。

今年も9月4日を

思い出ファーストでみんなと祝えて嬉しかったな。

私にとってこれからも特別な日。

生まれ変わってもまた、

憧れの先輩たちと、誇らしい後輩たちと、

愛してやまない同期が同期で居てくれる、

乃木坂46の3期生として生まれたいな。

先輩方の背中を

行かないでって思いながら見送って、

同期の新しい門出を誇らしく思い見送って、

見送ると思っていなかった後輩も見送って、

遂に、私の番がきました。

自然な流れのように思えるけれど、

きっとそうじゃないんだよね。

確かに歩んできた道の途中で、

分岐点が現れたのです。

 

複雑な言葉でしか伝えられなくてごめんね。

私のできる精一杯の、

乃木坂46への愛情表現なのです。

そして何より、

応援してくださったみなさまへ

何から話そうかな…

どうだったんだろう。

私の乃木坂人生は、どうでしたか?

楽しんでもらえたかな。

頑張れていたかな。

苦しい時期もありましたね。

悔しい思いもさせちゃったな。

嬉しいことがあったら、

自分のことのように喜んでくださったこと、

今も覚えています。

私には嬉しかったことが幾つもあります。

でも一番は、

私のこんな遠回りの愛情を受け取ってくださり、

私という存在をみつけてくれたことです。

見つけづらかったでしょう。

伝わりづらかったでしょう。

どんな時も、求める以上に、

私の意思を尊重してくださった皆さま。

それはきっと、

もどかしい時もあったかもしれないけれど、

そういう矢印を向けてくださる分、

私は形にしてお返しせねばと思っていました。

そうしたら、

それをたくさん見てくださって。

あれ素敵だったよ、これ面白かったよ

なんて伝えてくださるみなさま。

私が返さねばと思っていたのに、

また返されてしまうのです。

それを受けて、

また前へ進まなくてはと

思わせてもらっていました。

それが本当に嬉しかった。本当に。

自分が自分を羨ましく思うほどに、

あたたかくやさしさの詰まった応援を

眼差しを向けてくださり、

本当にありがとうございました。

最後に、みなさまへのありったけの感謝を

私の大好きな形で伝えたく思っています。

11月26日、27日に、

卒業コンサートを

やらせていただけることになりました。

本当にありがとうございます。

場所は、私の青春が詰まった、

横浜アリーナです。

大好きな背中を見送ってきた場所。

私が青春を取り返しに行った場所。

そして最後は、

私が、青春にピリオドを打つ場所に。

思い入れなんていう言葉じゃ収まらない、

そんな場所ですね。

乃木坂46として過ごせる最後の日。

会いにきてくださったら嬉しいです。

今年は暑さが長引きそうだから、

ちょうど本格的に寒さを迎える頃かな。

今年の終わりを迎えそうな頃かな。

なんだか寂しさを加速させそうだね。

最後まで、乃木坂46の久保史緒里として、

やれることをなんでもやりたいです。

思い出作りとかは、らしくないから、

それよりいっぱい、

この場所じゃなきゃできないこと、

自分に与えられた使命を果たしたい。

欲を言えば、みんなともっと会話がしたい。

メンバーひとりひとりと

目を見て話がしたい。話を聞きたい。

だいすきなみんなへ、

そして応援してくださるみなさまへ、

ありったけの愛を

届けられる時間となりますように。

緊張した。。。。

物凄く時間を要して

このブログを書いたけれど、

結局また、

遠回りな言い方になってしまったなあ。

いつもいつも、申し訳ないです。

長くなってしまいましたが、

まだまだ夢だった乃木坂46、楽しみますね!

あっという間に過ぎていかないよう、

噛み締めて、踏みしめて、

でも、

風のように走り抜けて行きたいです。

これからもよろしくお願いします!

本当にお世話になりました。

また書きますね

久保史緒里

乃木坂46は、私の人生でした。

引用元:久保史緒里さんの「風のような、9年間でした」